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October 2023

October 26, 2023

『尼僧の告白—テーリーガーター』

この本は1982年に名古屋駅の三省堂で購入したようです。

書名:尼僧の告白—テーリーガーター―
訳者:中村元
出版:岩波文庫(1982年4月第1刷)

《目次》

序の詩句

二つずつの詩句の集成
三つずつの詩句の集成
四つの詩句の集成
五つずつの詩句の集成
六つずつの詩句の集成
七つずつの詩句の集成
八つの詩句の集成
九つの詩句の集成
十一の詩句の集成
十二の詩句の集成
十六の詩句の集成
二十ずつの詩句の集成
三十の詩句の集成
四十の詩句の集成
詩句の大いなる集成

訳注
あとがき

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October 25, 2023

宮本正興+松田素二 編『改訂新版 新書アフリカ史』

HMVネット購入。2022年4月17日注文。

書名:改訂新版 新書アフリカ史
編者:宮本正興、松田素二
出版:講談社現代新書(2018年11月第1刷)

《目次》

はじめに―アフリカから学ぶ

改訂新版にあたって

【第Ⅰ部 アフリカと歴史】

第一章 アフリカ史の舞台
(執筆者=松田素二、1節のみ市川光雄)

1 人と自然
/多様な人間と言葉/多様な気候と生態/

2 地域形成と外世界交渉
/川世界のダイナミズム/外世界との交流/

第二章 アフリカ文明の曙

1 人類を育てたアフリカ大陸(執筆者=諏訪元)
/人類の系統の出現/アウストラロピテクスの時代/原人の出現とユーラシア大陸への拡散/アフリカの旧人段階の人類/ホモ・サピエンスと現代人の出現/

2 文明を生んだ生態環境(執筆者=市川光雄)
/変動する環境/アフリカ的農耕の起源/バンツー語系農耕民の大拡張/新しい作物と鉄器製造技術/移動と共生の伝統/

【第Ⅱ部 川世界の歴史形成】

第三章 コンゴ川世界
(執筆者=杉村和彦)

1 熱帯雨林下に刻まれた歴史
/二つの世界—サバンナと熱帯雨林/拡大するバンツー世界/バナナ革命/狩猟採集民・焼畑農耕民・漁撈民の共存/

2 サバンナの王国社会
/サバンナ世界の胎動/マニ・今後の権威/ルバ、ルンダの交易/

3 キャッサバとイスラームの道、奴隷の道
/キャッサバ革命/緩やかに構造化された水界/衰退するコンゴ王国/イスラーム化とバングワナの形成/

4 キサンガニ森林世界の原理
/「残された地」キサンガニ/分散の原理と流動的社会/かけこみの森/

第四章 ザンベジ・リンポポ川世界
(執筆者=吉國恒雄)

1 鉄器農業社会の形成と発展
/孤立・自生した南の「角」/高原のショナ世界/鉄、農業、バンツー語系諸民族の到来/豹の丘伝統—後期鉄器時代/

2 大国家の時代
/最初の大国家マプングブエ国/グレート・ジンバブエ/トルワ国とカミ石壁遺跡群/ムタバ国とポルトガル重商主義/高原の覇者チャンガミレ国/

3 小国家の時代
/ムタバ、チャンガミレの滅亡/「孤立と自生」の再現/モザイク世界の開花/

第五章 ニジェール川世界
(執筆者=赤阪賢あかさかまさる)

1 サヘルにおける定住の開始
/謎の大河ニジェール/定住と農耕の始まり/金属利用と素焼き彫刻/複雑な社会の出現/

2 西スーダンの王国形成
/ガーナ王国/イスラームの浸透/マリ王国/交易商人のネットワーク/ソンガイ王国/ハウサ諸王国/

3 森林地帯の都市と国家
/イボ・ウクウ遺跡が示す階層分化/イフェとベニン―王国の宮廷美術/外世界との関わり/

コラム① 「ニジェール河谷(流域)大展覧会」

第六章 ナイル川世界
(執筆者=出口顯)

1 ヌビアの諸王国
/エジプトとヌビア/最初の黒人王国クシュ/ヌビア人による第25王朝/メロエ王朝/ヌビアのキリスト教王国—ノバティア、マクリア、アルワ/イスラーム化の時代/エチオピア高原の諸国—アクスム王国からオロモ社会へ/

2 上ナイルの地域形成
/シルック王権の歴史/ヌエル人とディンカ人/団結する無頭制—ヌエル社会の分節構造/生態環境と地域ネットワーク/

3 大湖水地方のニョロ王国
/ニョロの王権神話/「キタラ王国」というシステム/創られた系譜/

【第Ⅲ部 外世界交渉のダイナミズム】

第七章 トランス・サハラ交渉史
(執筆者=嶋田義仁)

1 イスラーム以前のサハラ
/ユダヤ人のディアスポラ/サハラの先住民、ベルベルとテダ/

2 中世イスラーム国家の繁栄
/アラブの北アフリカ征服/ベルベルの抵抗とハワーリジュ派イスラーム/アルモラビッドの聖戦と正統派イスラームの発展/マリ帝国興隆と主要交易ルート/ソンガイ帝国とトンブクツの繁栄/カネム・ボルヌ帝国の発展/モロッコによるソンガイ征服/

3 サハラ交易の矛盾とブラック・アフリカの覚醒
/モロッコ統治と奴隷交易/トランス・サハラ奴隷交易/アフリカ・ナショナリズムの芽生えとフルベの聖戦/既存のイスラーム勢力との戦い/

第八章 インド洋交渉史
(執筆者=福田安志ふくださだし)

1 インド洋を渡る大交易路
/ヒッパロスの風/海のシルクロードと結んで/海港都市の繁栄/明朝艦隊の来航/ポルトガル艦隊の登場/モンバサを支配拠点に/天正遣欧使節のアフリカ来訪/

2 ザンジバルの盛衰
/オマーンの進出/サイイド・サイードの覇権/海洋帝国の首都ザンジバル/奴隷貿易の傷跡/増加するインド人/イギリスの保護国に/

3 スワヒリ世界の形成
/イスラーム化の進展/スワヒリ語の生成と普及/

第九章 大西洋交渉史
(宮本正興)

1 ポルトガルとアフリカ
/大航海時代の幕開け/インド航路を開く/動機と目的/ポルトガルのイニシアチブ/

2 奴隷貿易の衝撃
/初期の友好関係/大西洋奴隷貿易始まる/三角貿易と中間航路/奴隷を獲得する方法/アフリカ社会への影響/

3 近代世界システムの成立
/世界経済の出現/覇権を握る者は誰か/パクス・ブリタニカ(Pax Britannica)/近代の光と闇/

【第Ⅳ部 ヨーロッパ近代とアフリカ】

第十章 ヨーロッパの来襲
(松田素二)

1 植民地支配の始まり
/野蛮の発明/探検家の時代/アフリカの争奪戦/

2 武力征服の時代
/機関銃対弓矢の戦争/植民地支配の思想と方法/

3 リベリアとエチオピア
/解放奴隷の国リベリア/最古の王国エチオピアの経験/革命とエリトリアの独立/

第十一章 植民地支配の方程式

1 サバンナのコロニー<イギリス領東アフリカ>(松田素二)
/植民地化の過程/白人入植者の国/人頭税と賦役/白人入植者vs.アフリカ人農民/

2 間接統治のモデル<イギリス領西アフリカ>(執筆者=戸田真紀子)
/ルガードの植民地観/間接統治のメカニズム/北部ナイジェリアへの適用/間接統治の残した傷痕/

3 同化と直接統治<フランス領西アフリカ>(執筆者=砂野幸稔すなのゆきとし)
/文明化の使命/セネガルの四つのコミューンと同化政策/アルベール・サローと「協同」政策/直接統治と「原住民局」/

4 「善意」の帰結<ベルギー領コンゴ>(執筆者=竹内進一)
/レオポルド二世の野望/「闇の奥」の「赤いゴム」/「三位一体」的発展/砂上の楼閣/

5 遅れた解放<ポルトガル領南部アフリカ>(執筆者=峯陽一)
/貧しい宗主国/植民地支配の「後進性」/解放を阻む要因/植民地・本国同時革命/南アフリカの介入/闘いは続く/

第十二章 南アフリカの経験

1 オランダ東インド会社の時代(宮本正興)
/会社という名の国家/ヤン・ファン・リーベック/自由市民の誕生と奴隷の輸入/ケープ社会の発展/ケープの風景/オランダの没落/

2 イギリス領ケープ植民地の誕生(宮本正興)
/パス法廃止と奴隷解放/グレート・トレック/アフリカ人の離合集散/金とダイヤモンドの発見/

3 「アパルトヘイト」との闘い(執筆者=楠瀬佳子くすのせけいこ)
/南アフリカ連邦の時代/人種隔離社会/アパルトヘイト国家=南アフリカ共和国の誕生/不服従運動と反逆裁判/シャープビルの虐殺/ネルソン・マンデラの獄中生活/黒人意識運動とソウェトの闘い/高揚する闘い/政府との交渉―アパルトヘイト廃絶に向けて/マンデラ政権誕生/新社会建設への課題/

【第Ⅴ部 抵抗と独立】

第十三章 アフリカ人の主体性と抵抗

1 抵抗の選択肢(松田素二)
/アフリカ人の選択/見直される初期抵抗/アフリカ的抵抗の水脈/

2 伝統の反乱(松田素二)
/ナンディの抵抗戦—ケニア/霊媒師の反乱—チムレンガ(ジンバブエ)とマジマジ(タンザニア)/反逆する司祭―キンバング(ベルギー領コンゴ)/

3 イスラーム神権国家の戦い(嶋田義仁)
/フルベの聖戦/エルハジ・ウマールによるトゥクロール帝国建設/サモリの聖戦/スーダンのマフディー国家/チャドのラバー国家/二つの抵抗/

4 王国の抵抗<アシャンティとマダガスカル>(宮本正興)
/ゴールドコーストとアシャンティの台頭/黄金の床几/イギリスの保護領に/戦場の皇太后―ヤア・アサンテワア/マダガスカルのメリナ王国/反キリスト教からナショナリズムへ/

5 マウマウ戦争の構図(宮本正興)
/デダン・キマジという人物/初期の抵抗/1920年代の抵抗/1930~40年代の抵抗/1950年代と土地自由軍の闘い/封印された歴史/

第十四章 パン・アフリカニズムとナショナリズム
(砂野幸稔)

1 パン・アフリカ主義の誕生
/近代的抵抗の系譜/黒人ディアスポラと黒人意識の息吹/デュボイスとパン・アフリカ会議/第五回パン・アフリカ会議と植民地解放の目標/

2 ナショナリズムの芽生え
/両大戦間期のアフリカ人ナショナリズム/第二次世界大戦の影響/労働運動から反植民地闘争へ/アフリカ人政党による独立運動/

3 独立とアフリカ合衆国の夢
/ンクルマと「アフリカ合衆国」の理想/独立とバルカン化/コンゴ動乱/アフリカ統一機構の結成/

第十五章 独立の光と影

1 自立経済への道(執筆者=池野旬いけのじゅん)
//植民地経済の桎梏/経済開発路線の選択/工業化の試み/

2 アフリカ社会主義の実験(池野旬)

/タンザニアのウジャマー社会主義/アルーシャ宣言とウジャマー村政策/村落政策への方針転換/農村社会主義の頓挫/

コラム② その後のタンザニア:独自の社会主義路線を放棄して30年余

3 ネイション・ビルディングの虚構(戸田真紀子)
/「楽観的近代化論のすすめ」/アフリカ大陸を覆うイデオロギー/ネイション・ビルディングの実態/

4 ビアフラ戦争の悲劇(戸田真紀子)
/ナイジェリアという国/独立前夜—北部支配の確立/第一共和政の失敗/内戦に至る道/ビアフラ戦争の二つの顔—トライバリズムかナショナリズムか/

【第Ⅵ部 現代史を生きる】

第十六章 苦悩と絶望:二〇世紀末のアフリカ

1 民主化の時代(竹内進一)
/一党制から多党制へ/肥大する国家/「打出の小槌」をめぐる争い/難民と紛争の悪循環/冷戦終結の影響/多難な民主主義/

2 「低開発」と構造調整政策(池野旬)
//アフリカの「低開発」とは/「バーグ報告」と「ラゴス行動計画」/構造調整政策の限界/インフォーマル部門への期待/

3 近代化の矛盾(松田素二)
/苦悩のオンパレード/近代化のつけ/伝統の逆襲/都市社会の変貌/アフリカ都市の互助システム/

第十七章 二一世紀のアフリカ

1 AUの時代の紛争と和解(執筆者=佐藤章)
//紛争の全般的終息傾向/紛争解決・平和構築における前進/持続する紛争と新たな挑戦/持続的な民主化の進展と問題点/和解の課題と困難/

コラム③ 早すぎる国家破綻—南スーダン共和国の独立と内戦(執筆者=栗本英世)

2 成長する経済の光と影(執筆者=高橋基樹)
/20世紀末のアフリカ経済—停滞と危機/貧困削減―援助の方向性の大きな転換/21世紀における経済の激動―光と影の交錯/アフリカ開発のイニシアティブ/中国の影響と経済成長支援への回帰/打ち続く貧困を超えて―人々が担う経済へ/

3 アフリカ史を「ジェンダー視点」で切り取る(執筆者=富永智津子)
/ジェンダー平等とアフリカ/姉妹交換婚にひそむ「平等社会」の落とし穴/母系から父系への移行―持たざる男性の「自立」/「女の知恵」による男社会への挑戦/専業主婦の出現/性別分業の変化と反植民地闘争/民族解放運動と「女性憲章」/内戦とジェンダー/

4 ポスト・アパルトヘイト時代の南アフリカ(峯陽一)
//マンデラ時代の終わり/新自由主義的アフリカニズム?/階級分化とポピュリズムの時代/南アフリカとアフリカの未来/

5 環境・感染症問題(執筆者=伊谷樹一いたにじゅいち)
/砂漠化の実態/野生動物の減少と新興感染症/人と自然の距離/

第十八章 アフリカの未来

1 アフリカ潜在力:紛争解決のためのもう一つの回路(松田素二)
/成長の光と影/近代市民社会の紛争処理の方法/紛争予防の知恵/紛争拡大の抑制の仕組み/停戦と和解のための知恵/正義回復と社会修復の技法/ルワンダで行われた紛争処理/

2 21世紀アフリカの文化戦略:たたかいの場としての言語(宮本正興)
//ポストコロニアル国家の言語事情/民族語の生命力/「言語社会」という用語/多言語社会の成立基礎/近代国家体制と言語/「超民族語」への期待/アフリカ・ルネサンスの夢/アフリカの言語宇宙を開く/

3 人類史のなかのアフリカ(宮本正興・松田素二)
/「光と影」のアフリカ観を超えて/現代アフリカに刻まれた植民地支配の遺制/現代世界に浸透するアフリカスキーマ/アフリカ史という挑戦/

参考文献
執筆者紹介
索引

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October 16, 2023

田中克彦『言語学者が語る漢字文明論』

HMVネット購入。2023年2月7日注文。

書名:言語学者が語る漢字文明論
著者:田中克彦
出版:講談社学術文庫(2017年8月第1刷)、もとは2011年角川SSC新書の『漢字が日本語をほろぼす』

《目次》

学術文庫版のためのまえがき

はじめに

第一章 日本語という運命

/日本語の状況/母語ペシミズム/公用語とは/外国人をはばむ漢字語/自閉型言語と発展型(開放型)言語/ことばの数をどう数えるのか/日本人に八つもの言語が!/モンゴル語とブリヤード語—言語の分断をはかる/言語の数を増やしたがる人たち/「言語共同体」とは/言語共同体の不合理/母国語ではなく母語だ―ことばの名に「国」をつけるな/言語共同体は性格共同体か?/母語の不条理さ/言語共同体は運命共同体/不幸な「運命共同体」の転用/

第二章 「日本語人」論

/日本人ではなく日本語人がたいせつ/バイリングアル日本語人/日本語人にはみずからの意志によってなる/自分の意志でなるカナダ人/ことばと意志/言語は生き物か?/言語が人間のための道具ならば/人類共用語のために母語を捨てられるか/あり得ない「ソビエト語」、「中国語」/言語共同体の多様性と重層性/言語共同体を分裂からまもる/言文一致運動は言語共同体の造成/
{・・・日本の近代は、ラテン語にあたる漢文・漢字を禁ずるどころか、明治時代は、せっかくはじまっていた「民族のことば」すなわちヤマトのことばを見捨てて、ひたすら漢字によって近代の諸制度が必要とする概念をとり入れ、漢字を得意気にふりまわす官僚、時には学者を育てて日本を支配した。この結果何が生じたか、漢字・漢文を知るものとそれを知らないものとの間に深いみぞを設け、近代的な日本語共同体の造成に、永遠の分断のタネを植え込んだのである。
そこから生じたのは、民衆が日本語共同体の主人ではなく、官僚とりわけ官僚学者・御用文化人が、自らの学識を見せびらかせて、外国語・外国の文学=漢字の知識を絶対として自らの地位を確保した上で、権力の高みから民衆を見くだし、くやしかったら登っておいでおいでと見せびらかす型の文化・教養様式を作ってしまった。今日の大学受験制度も、基本的にはこうした気風を引きついでいる。
つまりフランスをはじめ、近代ヨーロッパとは全く逆の方向をとったのである。フランスが宮廷みずからsが主導して、ラテン語、つまり日本で言えば漢字・漢文を追放することによって近代フランス語を確立したのとは全く逆である。}
/忘れられた、おとなとこどもの言文一致/言語共同体の拡大/困った日本語/漢字民主主義?/漢字はローマ字に勝てない―英語が入りこんでくるわけ/よくできた日本語のローマ字略語/文法はかえられない/文字はかえられる/オト文字は言語の構造をより明らかにする/新しいことば仲間のために/日本語は追いつめられている/コエを殺す文字/
{・・・じつは日本語の歴史はこうしたコエの日本語に漢字をあてがって、意味を目で見るものに変え、コエなしの文字で固定する過程だった。つまりもともと日本語にそなわっていた、自力でことばを生み出して行く体系(システム)の力をずたずたに切り裂き、破壊してしまったのである。
こうして見てくると、漢字が日本語の生きた声を殺す道具であることがわかる。・・・}

第三章 漢字についての文明論的考察

/「漢字文化圏」論/日本は「漢字文化圏」の行きどまり/漢字文化圏からの離脱の歴史/
{・・・日本は漢字文化圏の行きどまりの役目をはたしたのである。そして、これ以後、新しい参入者を得ることはなかったし、今後も決して起こりえないであろう。どこかの新しい新興国家が、これは便利だからといって、自分の言語を書くために漢字をとり入れたというようなことは、日本を最後として、歴史上起こったことがない。事実はその逆である。すなわち漢字文化圏の歴史とは、それからの脱落、脱退の歴史である。まずヴェトナムが脱落し、次には朝鮮語が、世紀をこえて漢字地獄から脱出するための格闘のさなかにある―いずれも民族語文化独立のための、果敢で英雄的なたたかいの歴史である。}
/進化する本家の漢字/中国語知らずの漢字統一主義者/漢字に支配されなかった周辺諸族/特に突厥文字の原理について/ウラル=アルタイ諸語を特徴づける母音調和/チベット文字とモンゴル文字/漢字におとは必要ない/訓読みはどの言語にも起きうる/音読みだって一通りではない/数字の訓読み/「訓読み」の無理/ローマ字にも見られる象形性/ふりがな、訓は線条性(リネアリテ)に反する/歴史記述と線条性/筆談で伝えるのはことばではない/方言をかくせば言語も消せる!/もしローマ帝国が漢字を使っていたら/漢字は言語をこえている/わからずやのヨーロッパの知識人—いまさら「音声中心主義」だって?/周辺民族の恐るべき言語本能/直接支配下にあった朝鮮語/
{漢族の周辺にあった非漢民族がすべて、例外なく漢字を拒否した中で、熱狂的に勤勉に漢字を身につけてみずから漢文化に同化し、ほとんど、漢族の一部、もっと言えば二流の漢族になってしまったとさえ思われたのが朝鮮民族であった。しかし1443年に李王朝第四代の世宗(セジョン)王がハングル文字を作ることにより、かれらの母語を、漢字の力を借りずに、独自のオト文字によって表記する道をひらいた。この王朝が、漢文化の圧倒的影響下にあったにもかかわらず、このようにして、漢字ではない、固有の文字を制作したことは、この王様に深い、いまでいう社会言語学的な洞察があったことをうかがわせるものだ。今日、朝鮮民族が固有の言語をもった、独立の民族として存立し得たのは、ひとえに、このハングル文字によると言ってもいいくらいだ。
しかし、漢字の知識と教養によって支えられていた官僚制度と、ハングルとの両立は、論理的に不可能であった。ハングルは当然、決して権力にはつながることのできない、社会的下層の負(マイナス)のシンボルとさえなった。その知識をもっていることじたいが侮辱の対象であったからだ。<br>しかし日清戦争によって清王朝が解体にむかったのを機に内からの近代化が求められた。・・・
ハングル新聞は、漢字の使用から排除された大多数の国民に、母語を用いた近代的言論の世界を開くかに見えたが、1910年に日本の支配下に入るとともに、ハングルの使用は禁止された。
ハングルの使用が完全に花ひらくには、日本の敗退を待たなければならなかった。
すなわち1954年、日本が敗退した後に、ハングル制作から500年を経てはじめて、民族の唯一の文字として自立し、そのことによって言語もまた自立しえたのである。この500年という空白があったけれども、朝鮮民族は、さきにあげた突厥、契丹、西夏、モンゴル、満洲族など、漢族以外の民族と同様に漢字から脱却したのみならず、近代国家へのたしかな足どりを獲得したのである。今日の韓国の繁栄のすべてはハングルが可能にしたのである。・・・}
/ハングルによる朝鮮語のたたかいはこれから/じつは中国そのものが漢字とたたかっている/漢字にもカタカナが必要だ/魯迅と銭玄同/漢字とたたかうための中国との共闘/日本人と漢字―最後に残る漢字圏の問題/日本語の逆走/聞くべき柳田國男/すでに200年も前に/服部四郎の憂慮/

第四章 「脱亜入欧」から「脱漢入亜」へ

/日本は中国と「同文同種」か/中国語は日本語よりも英語に近い/モンゴル語が開いてくれた世界/トルコ語もフィンランド語も/ラムステッドに導かれて/朝鮮語もやったラムステッド/ハンガリー語も!/朝鮮語はもちろん!/ウラル=アルタイ語世界/印欧語比較言語学と音韻法則/音韻法則をこえて/カタテオチのカタはウラル=アルタイ共有財/中国語はhave型言語!/ロシア人をとらえてはなさないユーラシア主義/東方性こそがロシアの特徴/ユーラシア・トゥラン語圏/ボリシェヴィキに追われたユーラシア主義者たち/
{・・・ニコライ・トルベツコーイは、ロシアの言語と文化の形成が、かれの言うトゥラン諸族の強い影響のもとに行われたという確信を抱いている。かれの晩年のテーマは言語におけるユーラシア性であった。このユーラシア性の西端はスカンディナヴィアのフィン族やサーミ族からはじまって東端は日本で終る。この連続したユーラシア帯に漢字が貫入し、そこを支配したために、ユーラシア性は日本人の歴史的記憶から消え去ろうとしている―というのが、私がトルベツコーイから受けつぎ、発展させたい文明論的見とおしである。その歴史的記憶を最終的に消し去ろうとしているのが、「漢字文化圏」という、ほとんど無内容な宣伝文句である。その宣伝文句をそのまま受け入れているのは日本人だけである。しかし日本以外のユーラシア諸民族は、日本人はユーラシア諸族の同胞であるという意識を失っていない。}
/トゥラン主義の日本への伝播/トゥランとはなにか/ロシアに残りつづける「トゥラン」の文化的伝統/日本文化の基軸にかかわる漢字問題/
{・・・漢字の利点は、ことばをとびこえているから、字をおぼえれば、それが直接概念にむすびつく、だから中国の学問は、漢字をおぼえ、それを並べて解釈することに終始するという性格をおぶり。というのも、漢字ははじめから、概念を与えてしまっているからである。漢字で書かれている言語は、漢字という形ですでに結論が与えられている。・・・}
/漢字という障害物/ちょっとはげしい「かな」言語ナショナリスト/字ではなく、オトことばの中国語を学ぼう/ドゥンガン語―漢字ぬきの中国語/「漢字文化圏」の外に経つ漢語/「脱漢入亜」をめざして/ 

あとがき
参考文献

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October 13, 2023

『仏弟子の告白テーラガーター』

この本は1982年に名古屋駅の三省堂で購入したようです。

書名:仏弟子の告白—テーラガーター―
訳者:中村元
出版:岩波文庫(1982年3月第1刷)

《目次》

序の詩句

一つずつの詩句の集成
二つずつの詩句の集成
三つずつの詩句の集成
四つずつの詩句の集成
五つずつの詩句の集成
六つずつの詩句の集成
七つずつの詩句の集成
八つずつの詩句の集成
九つの詩句の集成
十ずつの詩句の集成
十一の詩句の集成
十二ずつの詩句の集成
十三の詩句の集成
十四ずつの詩句の集成
十六ずつの詩句の集成
二十ずつの詩句の集成
三十ずつの詩句の集成
四十の詩句の集成
五十の詩句の集成
六十の詩句の集成
詩句の大いなる集成

訳注
あとがき

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October 05, 2023

風巻景次郎『中世の文学伝統』

この本は大阪梅田にあった旭屋書店で1986年に購入したようです。当時は400円だったんですね。

書名:中世の文学伝統
著者:風巻景次郎
出版:岩波文庫(1985年7月第1刷)、原著は1940年、改版1947年

《目次》

1 うたやまとうた、漢詩と和歌、詩と歌、和歌と短歌

{草木のさやぎにも神の声が聞かれた遠い古(いにしえ)の代から、歌は神や人とともにあった。もちろん私どもの祖先は、いまだ文字を使っておらなかったから、その歌はもっぱら口承されてうたわれたものであった。それにまた、それらの歌はいずれも生活の中から生れたものであって、年中行事や祭儀や労働と素朴に結びついており、むしろその一部だといってよかった・・・}

{・・・それでは何故に一旦用いられた和歌という名称が、そのまま伝わったかといえば、その主な原因はその詩型の上にあったと思う。一体『万葉集』には三つの詩型がある。長歌・短歌・旋頭歌がそれである。長歌は57の句が繰り返されて7の一句で閉じるのが一ばん整った形だが、もっとととのわないものもある。『古事記』『日本書紀』の歌謡を見ても句形はととのっていないので、破調の多いのは古いもの、整っているほど新しいものと考えられる。早く本居宣長もいっているように、うたうときは音数は少しくらいちがっていても、節の上で加減するからよいのである。形の正整は眼で読むことの快感をもとめるために生れてくるのである。だから新しいものほど調ってくるのである。それに反歌といって、短歌か旋頭歌のついているものがある。反歌は一首の意味を簡約して最後に繰りかえすもので、たしかに漢詩からの影響である。そうしたものを『荀子』には反辞といっており、『楚辞』には乱といっているが、反歌は反辞をそのまま真似た名称であろう。長歌262首のうちで、反歌のないのが31首あるが、ない方が古体で、ある方が新しい。ない方はうたった歌だったかも知れぬ。反歌のある方は大方みな近江朝より後の作である。つまり日本の宮廷に漢詩の雅宴が催されるようになって後の作なのである。有名な柿本人麿だってその例に洩れない。彼の作は読む詩の初頭をかざる力作であったのである。・・・}

2 中世、和歌は中世文学の主軸、物語は文学でない性質を含んでいる、勅撰和歌集、二十一代集、『古今集』の伝統が『金葉集』『詞花』で衰える、『千載集』の後また『古今集』伝統が復活する、これが中世文学の開始である、藤原時代芸術の特色、その『金葉』『詞花』への反映は和歌の危機を意味する

{中世というのは鎌倉時代・吉野時代・室町時代そして安土桃山時代の始まるまでを包括して便宜的に使った名称である。この時代は平安時代の伝統を承け継いで、全く京都の宮廷を中心にした公家の間に和歌の伝統が流れる時代である。近世の江戸時代になると、京都の公家の和歌はいわゆる堂上家の歌といわれて、幾分旧式のように見られ庶民の間に新しい和歌の流れが根を張ってくる。大体この庶民階級に和歌熱が生れてくる以前が中世の下限という位に見て扱おうと思う。
さてこの時代の和歌の根本的性質は、それが唯一の日本文学の伝統であったということである。漢詩と相対立する唯一の日本語の詩であったということである。・・・}

3 藤原俊成、隠者文芸、『千載集』、その特色、抒情性の優位、幽玄

{『千載集』の奏覧は後鳥羽天皇の文治(ぶんじ)三年(1187)で、撰者藤原俊成は74歳であった。一体俊成の出た御子左(みこひだり)の家は御堂関白道長の子長家から出た。道長は倫子と高松殿と北政所が二人あるといわれたほどであったが、やはり嫡妻倫子腹の頼通の子孫から近衛・九条の二家が分れ、さらに五摂家に分れて今日に血を引いたが、高松殿腹の長家の筋は摂関大臣に登る家柄にはなれないで、普通には大中納言に止まる家柄であった。父俊忠も中納言になったが、俊成は参議に任ぜられるように願ってついに望みをはたさず、安元二年、63歳で出家して釈阿といった。現任の官職で参議に列すれば、ただの殿上人でなく公卿に連なるわけであるが俊成はそれに失敗した。勿論位階の方で三位(さんみ)以上になれば別に官職はなくても公卿に算えられるわけで、俊成も正三位皇太后宮(こうたいごうぐう)大夫(だいぶ)まで登ったのだから、最後には公卿に列したには違いないのだが、こういうのは非参議の三位といって、何かわびしい現世での成りそこねに見えるのである。既に道長の子孫で正二位大納言まで行ける家柄なのだから、俊成は決して現世の成功者とはいえなかった。
しかしこれは敢えて俊成だけのことでない。鵼(ぬえ)を退治した伝説で有名な源三位(げんざんみ)頼政、西行法師、大原の三寂といわれた寂超、寂然、寂念の三兄弟、『金葉集』を撰んだ源俊頼の子の歌林苑の俊恵(しゅんえ)、少し若手では『方丈記』の鴨長明など、この時代の有名な歌人は多く世捨て人であったか、世捨て人になったかした。勿論、京都朝廷をとりまく貴紳の子弟であるから、官位の昇進を他所(よそ)に見て、いわゆる世を捨てたところで、荘園からあがる年貢は何のかかわりもなく生活を支えてくれる。それに時代は地方官にでもならない限り、官職についた俸禄は殆ど手に入らぬようになっていた。だから出家はただちに生活水準の低下というのではなくて、生きた政治面からの落伍ということであった。しかしそれが現実生活での強引な競争に対して、何かたちおくれた弱気な落着の仕方であることだけはたしかであった。その頃は院政の時代になっていて、摂関政治を抑え、皇室御親政の古(いにしえ)にかえすという力が働いていたので、摂関家に抑えられていた反対勢力が、院の御所の事務長官である院別当などを頭に立てて、源氏平家の武力を京都で行使させるという風になっていたときなので、摂関大臣の家といってもなかなか家柄だけに頼っていられないし、群小の才人はこの時代転換の風潮にのって、猟官運動に狂奔する。そこの隙(すき)へ、保元・平治の乱で自己の力量に目醒めた平家が、西国の富裕な地盤にものをいわせて、無理おしに京都へ押し出てくる。このようにして、地方の国司から出て太政大臣まで経のぼった平忠盛(たいらのただもり)清盛父子二代のうちの平家の地位の昇り方というものは一ばん目に立つのであるが、元来京都にあった村上源氏や藤原氏の諸流にしても、案外なほどの地盤を獲得したのであって、現世的な勢力の交替はなかなかはげしかったのである。そうした中では、これまで父祖の余栄を愉しんで、分に安んじた高からず低からぬ、割に楽しい現実生活を営んで来た教養ある中堅どころの公家の中に、割にあきらめの良い、粘りの足りない子弟が多くて、世相のはげしさをうとましく思い、追従と暗中飛躍と賄賂とがあまりによく利くのに愛想をつかして、引退する者が多くあった。彼らはひどい野心もなく、自分のつとめを程よく守り、分相応の待遇を世から受ければ十分幸福な人々で、生活的には現状維持派であり、現実生活の礼賛者である場合が多く、現状破壊の行動者でなく、他人を羨み妬む不平組であることは殆どない。そうした人々が隠遁を決行するまでには、随分心の準備が必要ではあったろうが、いざ隠遁すれば、それは本質において閑適の詩人であった。というよりは世を見限ることによって、一つの詩境を建立した人々だといった方が、なおよいかも知れない。俊成も本来そういう歌人の一人であったのだ。折口博士の修辞学にまなぶならば、「隠者文芸」はこの時代の文芸の、非常に重要な一部をなしている。というよりは、隠者文芸によって最も美しく悲しい成熟を見せているのである。・・・}

4 西行法師、『山家集』、実人生への敗恤と交換した文学精神

5 『新古今集』、その特色、錦繍的妖艶、後鳥羽院の御趣味、『新古今』撰定前の歌界、若き定家

{・・・今一度諸君に思い出していただきたいのは、和歌は漢詩と相並んで、京都宮廷を中心にした貴紳の文学の主軸であったということである。そしてまた、公家の人たちは、平安末から鎌倉のはじめにかけて深刻な不安を感じつつあったということである。まず平家のために平和の夢を破られ、つづいて源氏のために動揺をつづけ、さらに平家の一門であった北条氏のために制圧されねばならなかった。これらの武家の興亡はそれだけでも歴史に波瀾に富んだ見せかけを与えているが、もっと根本的な重大事は、武家といわれる身分のものが、政治権力を朝権の外に打ちたてたということであって、その武家が次々に入れかわることに、その力を大きくしていったのである。そのために、朝廷を上にいただいて形づくられていた藤原氏や村上源氏の数多い門閥の集団、つまり京都の文化圏を保ってきた公家の社会が、その存立の基礎に不安を感じさせられるようになってきた。当時の上流の生活根拠は全国にある荘園である。・・・}

6 『新古今集』の撰定の経過

7 後鳥羽院、院の御製と新古今時代廷臣の歌とは別の所から生れている

8 源実朝、『金槐集』、実朝の歌の多くは風流の歌である

{・・・実朝は西行が世を去った翌々年、後鳥羽天皇の建久三年(1192)八月九日、鎌倉名越(なごえ)の浜御所に生れた。『新古今集』選定の勅の下る足かけ十年前、後鳥羽院は十二歳の年上であらせられる。父は源頼朝、母は北条政子、幼名千幡(せんまん)正治元年千幡八歳のとき、父が相模川の大橋の落成式に行って、馬から落ちたのがもとで急に薨去した。兄頼家が二代将軍となったが、建仁三年辞し、千幡は十二歳で将軍となり実朝と改めた。
兄頼家が辞めて、翌年修善寺で殺されるまで、なかなかの悶着があった。元来政子の父時政は平氏であって、頼家のいる間はその器量に恐れ、これを立てていたが、頼朝が世を去るとやがて勢力の拡張にとりかかった。最初に肉親の孫頼家を将軍職から追って、殺させたのも時政の手であった。
元久二年、都では『新古今集』の竟宴が終ったのち、閏七月、時政はまた妻の牧の方という女傑と共謀して、女婿平賀朝政を将軍に立てようとし、十四歳の実朝を仆(たお)そうとした。このことが未然に顕われたので、政子の母性愛が実朝をかばった。政子は北条義時と兄弟力をあわせて一網打尽に関係者を検挙し、父時政を幽閉し、京にいた朝政は敗死した。その後直接この少年実朝にふりかかる危害はなかったが、執権北条氏の実力扶植は着々進行していた。源氏重代の家来たち、和田・三浦・畠山・朝比奈・宇都宮などの諸豪族は北条氏に対する反感を深くしているのに乗じ、種々策謀して、次々に叛旗を翻させては次第にこれを滅して行った。そうした政治的な殺戮の中にとりかこまれて生長したのだから並々の生涯ではない。
建保四年六月、実朝二十五歳である。東大寺の大仏修理をした宋人陳和卿(ちんなけい)が来た。実朝に謁して前生は宋の育王山(いくおうざん)の長老だといって涕泣(ていきゅう)した。それに心を動かされ、大船をつくらせて、入宋しようとしたが、船が進水しなかったので、その望みは空しくなった。
建保六年、二十七歳の年、正月には閑院内裏造営の恩賞として権大納言、三月左近衛(さこんえ)大将、十月内大臣、十二月右大臣に昇り、この年母政子も従二位した。
翌承久元年正月二十七日、前夜から雪であったが、鶴ヶ岡八幡宮に右大臣の拝賀の式を行う夜更け、帰るさを別当公暁(くぎょう)のために弑せられた。公暁は頼家の遺子であるが、実朝は父の敵であるとそそのかされて決行したものの、それはまた将軍弑逆(しぎゃく)の謀叛人という名儀でほろぼされた。清和源氏の正統はここに絶えた。・・・}

9 老いたる定家、歌に対する見識の変化、世間的幸運

10 『新勅撰集』、新古今調からの離脱、世襲の芸道の建立、有心、歌における「詩」の喪失の警告、「詩」を培うものとしての漢詩、漢詩と和歌との融合

11 為家

12 二条・京極・冷泉三家の分立、持明院統と大覚寺統、分立の意義、為世歌論の保守主義、為兼歌論の新鮮さ、『玉葉』の歌と『新後撰』『続千載』の歌と

{・・・とにかく、作歌が貴紳の嗜みとなったのであるから、同時にそれは芸道となりきったのである。芸術と芸道との相違はしばしば日本の芸術に関して述べられるところであるが、芸道ということについて、これまで人は余りに高く評価しすぎており、何か神秘的な意味を感じていたようである。しかし実は芸道を口にする時代の生活には、またはそれを口にする人々の間には、その時代の芸術を創造する力は失われておるのである。・・・ただ一般にいって、すでに完成された芸術作品を専ら鑑賞する側に立つ大衆からいえば、定評あるものを愉しむのが早道でもあるし、また自然そうするのほかはない事情もあるだろうから、純粋にそれを愉しむという態度を持つ人には、自ずと芸道的色彩、つまりその嗜みによって生活の感じを統一し、一種の風格をつくるというような傾向が出るのも当然であろうが、創作する人間が、自分の芸術は数寄であるといい出すときには、彼はその時代の創作家としては落伍したものといわれても仕方がないのである。もし彼がなお詩人であると主張するならば、その「詩」は、その時代の現実の生活に結びついた情緒とは別の地盤の上にある「詩」にほかならないのであろう。 それに対立する為兼の態度は、芸術論としての限り、根本的に別である。『為兼卿和歌抄』がそれを示している。・・・}

13 吉野朝時代の勅撰和歌集

14 鎌倉末この方の自然観照、天象が景色の重要な要素となる、『玉葉』『風雅』の叙景歌の功績、頓阿の歌、牧渓水墨山水に触れた心

15 宗良親王、『新葉集』

{・・・元来吉野の朝廷は、吉野にばかり在ったのでなく、皇居はしばしば移っていること、また京方の諸院が、吉野朝の皇居に軒を並べて御座あったこともあるのは、諸君も国史を学ばれて充分知っておられるところであるけれども、何といっても大体は吉野が中心であった。あの南和の山岳地帯に、吉野時代を通じて朝廷を置かれた御不便は想像に余りあるが、よく長い期間を維持出来たのは、大和・伊勢・河内・和泉がその勢力範囲であって、大和アルプスを脊椎とした大山岳地帯が海洋に三方を取りまかれて、大城郭をなし、どうにも攻め様がなかったのと、今一つは熊野の海は海賊の根拠でもあって、それが吉野朝の命に従っているので、東は東海道、西は瀬戸内海の制海権はむしろ吉野方にあったためである。こうした政治的・地理的な事実が背景となっていたため、西は九州、東は信州・北陸から関東・陸奥(みちのく)にかけ、常に連絡も取れたし、それに北条氏討伐御計画の頃、護良(もりなが)親王の令旨は全国に飛んでいるので、地方には最後まで吉野朝に味方した豪族が多くあった。こうしたわけで、吉野朝の基礎はなかなかに強固だったのであるが、そのかわり、地方との連絡には、皇族・公卿自ら衝(しょう)に当られ、軍も督率(とくそつ)されねばならなかった。・・・}

16 室町時代に歌は芸術であることをやめ始める、今川了俊、正徹、堯孝、飛鳥井雅世、正徹の論理と堯孝の理論、正徹と堯孝との定家の立て方

{・・・この正徹側の定家崇拝の一徹は、二条派の現実的な因襲主義、つまり、古典復興の熱意なしに、ときの宗匠の風体に流されていた二条派にとっては、どうしても対抗手段を考えねばならぬ強敵であった。どうしても、為氏・頓阿と流れてきた草庵体の末流を、合理化し擁護しなくては二条派の立場はなくなるが、相手方がそれらを否定して先祖の定家を事新しくかつぎ出したのだから、それに対抗するためには、どうしても定家をかつがねばならぬ。そこで、正徹と堯孝との対立は定家卿のかつぎ方の対立となってきたのである。・・・}

17 東常縁、老年の定家を立てて『新古今集』を排斥する、宗祇、古今伝授

18 歌道はまさに消えようとしていた、結語

{さて二条流の歌学がこうして連歌師宗祇の手に帰すると、問題は公家の間に起る。本来宮廷貴紳の文学伝統を伝える儀式化した手段に過ぎなかったのではあるけれども、それは今から見てのことである。当時の実情としては、この形式は、血統なくして道統を伝える者にとっては是非必要であったのであって、ことにその者の種性(すじょう)が卑賤である場合には、一層必要であったわけである。常縁・宗祇の時代に生れた古今伝授の大がかりな祭典的儀式は、二条家が血統正しく栄えて、歌の家の格式を保持しておったならば、恐らくは生まれなかったでなかろうかと思われる。歌の道統が宮廷貴紳の間から外へ逸脱したときに、このような歌道の神聖化は生れたのであって、同時に、歌道が公家の手をはなれたというところに、公家の短歌的形式による抒情の力のなくなりつつあった証跡がうかがわれるのである。私どもは当時能楽や茶道や香道や、そして民間芸能の様々な分野で、和歌が神聖なものとして扱われているのを知っている。それはいわば創作のため、己(おの)が抒情のための形式ではなくて、政治上には微力となったがなお神代からの神秘な尊さの背光をいただいている宮廷貴紳の、伝統永き文化のシンボルの如きものとなっていたのだ。それは文学としてでなく、宗教的な意味を以て民間に感じられておったといってよい。民間から出てその歌の道統を継承する位地に立った人として、宗祇の得意は思うべしである。こんな関係だから、連歌の方で第一の大家宗祇も、歌はあまり面白くないのである。・・・}

解説(久保田淳)

 

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