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April 29, 2011

ミシェル・フーコー「言葉と物」

この本は以外に新しく、25年ほど前に購入したもののようだ。

書名:言葉と物-人文科学の考古学(原題:Les Mots et Les Choses)
著者:ミシェル・フーコー
訳者:渡辺一臣・佐々木明
出版:新潮社、初版1974年6月(原書1966年)

まあ、この本より難解な本はないといっていいかもしれない。翻訳自体はそんなに悪くはないと思う。
そもそも日本語に翻訳することが無謀なのだろう。
かといってフランス語で読もうとしたらそれはもう何十年かかることやら。
とはいえ、この本の続き的な「知の考古学」を現在、英訳で読んでいますが。やはり、チンプンカンプンです。

《目次》

第一章 侍女たち

一 (小見出しなし)
ニ (小見出しなし)

第二章 世界という散文

一 四種の相似
ニ 外徴
三 世界の限界
四 物で書かれたもの
五 言語(ランガージュ)の存在(エートル)

第三章 表象すること

一 ドン・キホーテ
ニ 秩序
三 記号(シーニュ)の表象作用
四 二重化された表象
五 類似性の想像力
六 「マテシス」と「タクシノミア」

第四章 語ること

一 批評と注釈
ニ 一般文法
三 動詞の理論
四 分節化
五 指示作用
六 転移
七 言語(ランガージュ)の四辺形
…いまや、古典主義時代の経験における言語(ランガージュ)の強固で緊密な統一性が何であるか、把握することができるだろう。言語(ランガージュ)とは、分節化された指示作用の仕組みによって、類似を命題的関係のなかにおさめるものである。つまり、《ある(エートル)》という動詞を基礎とし《名》の綱目によって顕示される、同一性と相違性の体系のなかにおさめるのだ、古典主義時代における「言説(ディスクール)」の基本的任務は、《物に名を付与し、この名において物の存在(エートル)を名ざす》ことである。二世紀にわたって西欧の言説(ディスクール)は存在論の場であった。つまりそれは、表象一般の存在(エートル)を目指すとき、哲学、すなわち認識の理論および観念の分析であり、表象された個々の物に適切な名を付与し、表象の場全域にわたって「よくできた言語(ラング)」の綱目を張りめぐらすとき、学問-すなわち、名称体系と分類法-だったわけだ。

第五章 分類すること

一 歴史家はどう言うか
ニ 博物学
三 構造
四 特徴(カラクテール)
五 連続体と天変地異
六 畸型と化石
七 自然の言説(ディスクール)

第六章 交換すること

一 富の分析
ニ 貨幣と価格
三 重商主義
四 担保と価格
五 価値の形成
六 有用性
七 全体的な表(タブロー)
八 欲望と表象

第二部

第七章 表象の限界

一 歴史の時代
ニ 労働という尺度
三 生物の組織
四 語の屈折
五 観念学と批判哲学
六 客体の側における綜合

第八章 労働、生命、言語(ランガージュ)

一 新たなる経験的諸領域
ニ リカード
三 キュヴィエ
四 ボップ
五 客体となった言語(ランガージュ)

第九章 人間とその分身

一 言語(ランガージュ)の回帰
ニ 王の場所
三 有限性の分析論
四 経験的なものと先験的なもの
五 コギトと思考されぬもの
六 起源の後退と回帰
七 言説(ディスクール)と人間の存在(エートル)
八 人間学的眠り

第十章 人文諸科学

一 知の三面角
ニ 人文諸科学の形態
三 三つのモデル
四 歴史
五 精神分析、文化人類学
六 (小見出しなし)


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