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December 11, 2009

山川菊栄「わが住む村」

岩波文庫。

山川菊栄は社会主義者山川均の妻にして、自身も社会主義者であり女性解放運動家である。だがこの本のような民俗学的なものが有名みたいだ。

本筋ではないがおもしろい記述があったので抜粋する。

…江戸時代の人口は三千万程度の停止状態に留まった中で、農村人口は中期から減る一方で、人口の都市集中と農村の荒廃は絶えず学者、政治家の間の問題となり、その悩みがあるいは「お人返しの法」すなわち都市に集まった農村出身者の帰村命令、人口制限の禁止、育子料の給付等の政策となって現れたのですが、ついに如何ともすることができずに終わりました。…(「三代の娘」より抜粋)

え~っ、いつの時代の話?今といっしょじゃん。

《目次》

はしがき
私がここ鎌倉郡村岡村の住民となったのは、昭和十一年春のことでした。東京に生れて東京に育ち、三十近くなってからこのかた約二十年…
雲助の東海道
「早えもんだ。もうあれから四、五十年にもなるだんべ」。 安政の大地震にもビクともしなかったという頑丈な百姓家の,大きな藁屋根の下の縁側で、…この家のおばあさんがいいました。…
助郷の禍
幕府の役人や、公用の書類、物資等の輸送には、先触れと称して前もって宿場へ所用の人馬の調達を命じ、宿役人はその用意をして待つことになっていました。…
黒船来たる
さてこの村の助郷は、役人の誤用道中の手伝いばかりでなく、嘉永六年六月ペリーの黒船が江戸湾を脅かした時は、早速動員されて重大な国防上の役割を勤めたのでした。…
さがみ野の昔
さて今度は北西は旧東海道、南東は東海道本線に沿うているこの小さな村の中で、古い昔から人々がどんな朝夕を送ってきたのかをたずねてみましょう。…
村の草分け
村岡の草分けは、『更級日記』の頃より百年を遡る時代に、鎮守府将軍としてこの地を領した平良文(たいらのよしぶみ)だと伝えられます。…
武士と百姓
さてこの村は、義貞の鎌倉攻めの時は左翼軍の激戦地となり、住民は徴発され、民家は多く兵火にかかったといわれ、また戦国時代にもたびたび戦場となったそうで、今も方々の畑から、人骨や刀の折れたのがよく掘り出されるといいます。…
鎮守さまと氏子
この村の七つの部落は、明治二十二年までおのおの独立の村で名主も別でした。…
行事と五人組
神様や仏様をめぐる行事は、農村の信仰と同時に、娯楽と慰安の中心でもありました。村にはいろいろの「お日待ち」があります。「お日待ち」というのは、農事を休んで一所にお祝いをする日で…
粟飯、麦飯
この村は冬暖かく、夏涼しくて凌ぎよく、気候がよい上に地質もよくて何でも出来、川に沿い、海にも近いので魚介類にも不自由せず、山が多いので燃料は豊富ですし、藤沢という宿場を控えているので、…
綿畑と狐のゆくえ
昔は家族の人数次第で、三畝、五畝、あるいは一反くらいの綿を作らない家はありませんでした。綿の花は、一面緑の夏の野に、雪の咲いた趣でした。女たちは、大きなしょい籠をしょって、…
三代の娘
幕府時代には、寺子屋がありましたが、行ったのはほとんど男の子ばかりで、女の子はよほどのお大尽のお嬢様でなければ手習いなどに行くものではなかったそうで、現に八十以上のお婆さんでは、相当の自作農の娘でも文字の読める人はまずない様子でした。…
農業は誰が継ぐ
昔からあった若者組には十五歳から四十歳までの男子は全部加入する義務があり、若者頭というのは、もうじき満期で組から出る年頃の先輩でした。…
耕地は蘇る
大昔、相模湾がこの地方の、重なり合う山々と広い砂浜とを残して次第次第に遠のいていったあとにも、久しい間、大小の湖や、葦荻の高く生い茂った沼が方々に残されていたものでしょう。…
戦時下の農村
これほど都会に近く、その文化的影響を多く受けているこの村で、技術の改良がおくれ、耕地整理すらまだ行われていないということは、私には一つの謎でした。…

解説(鹿野政直)

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